
フィクション
fiction
それは、義父が亡くなって四十九日の法要も終わり、炊事場で水仕事をしているときの事である。
突然、仏間の方から男性の怒りに満ちた叫び声が聞こえ、驚きのあまり手にした器は私の手を滑り落ちパリ-ンという音とともに床一面に砕け散った。
驚きのあまり、割れた茶碗のことなど気にする間もなく私は一目散に仏間に駆け込んだ。
『いったい何があったの』と私の声が響き渡ると一瞬の沈黙の後、先ほどと同じ怒声が再度部屋中を駆け巡る。
『親父の財産は兄貴一人のものじゃないだろう』と次男である私の夫、正夫が叫んでいる、間髪いれずに『これから盆正月仏壇ごとをするのは俺だろ、今まででもそうだっただろう』と長男の正一が切り返す。さらに長女の八重子が『お父さんの看病は、お母さんと私が長い時間やってきたでしょう』、『でもお前はお母さんから毎回小遣い貰っていただろう』・・・・・
それから数時間、兄弟三人の修羅場が続いたが、『疲れたからあんたたちもう帰って』と義母の怒りと疲労と涙交じりの声に、その日はそれぞれが帰路についた。
しかし、その光景はこれから始まる恐ろしい物語の序章にしか過ぎなかった。
その後は兄弟が顔を合わせることなく、先日のやり取りの記憶も薄れかけ平穏な日常にもどりつつある日のこと。
リーン、リーン・・・・電話が鳴り響く、胸騒ぎを覚えた私は、急いで受話器をとると数十秒の沈黙の後、押し殺した男の声で『正夫を電話に出せ』呂律の回らない酒にでも酔っているような様子である。
私は夫に義兄から電話だと告げると夫は憤慨した様子で電話を受け取り話を始めるが、私の耳には、『押さないからな』、『絶対押さんからな』という怒りに満ちた夫の声だけが聞こえる。
夫に訪ねてみると義兄から財産の分割書類を作ったから印鑑を押しに来いということだったようで、それに印鑑を押さないというやりとりだったようであるが、義兄は最後に『お前ら絶対に許さんからな』と捨て台詞を吐いて電話を切ったという。
夫は私の不安げな顔を気にしたのか『酔っ払いのたわ言だから気にするな』と言ってビールの栓を開け、私のグラスにビールを注いだが、手が震え怒りは収まらない様子であった。
それから数日たった夏の日の夕暮れ時のことである。
ピンポーン、ピンポン、ピンポン、ピンポンけたたましく、玄関のチャイムが鳴る、恐る恐る玄関に近づき、のぞき穴から人影を確かめてみると宅急便の配達員であった。
『すみませんお届けものです』と配達員から少し大きめな箱を手渡された瞬間は、お中元かと思ったのだが、お中元にしては、お菓子を梱包する薄汚れた段ボール箱にガムテープで封をされているだけの物であった。
『こちらにサインを下さい』と促す配達員の声にペンを取った私の手が瞬時に凍りつく、なんと送り主は私の義兄、正一から送り先は夫の正夫となっているではないか。
私は一抹の不安を抑えきれず、夫の正夫に電話をすると『とりあえず箱をあけてみろ』というので、おもむろにテープを剥ぎ取ると丸められた新聞紙の塊が、その隙間から朱色とかすかに金色に光るものが、さらに新聞紙を除けそこに現れたのは、なんと・・・・
そこにあったものは、朱色の漆喰の板に金色の戒名が施された数枚の板に黒と金色に縁取られた祖先の祭られた位牌ではないか。
私は唖然とした、相続でのもめごとは結構凄まじいとは聞いたことがあるが、これほどまでに恐ろしい相続争いの当事者になるとは思いもよらなかった。
すかさず、私は再び夫に電話をすると電話の向こうの夫は『そのまま梱包しなおして義兄に送り返せ』と言う、私自身、少し躊躇はしたが、気が動転していたことと電話の無効の夫の急かし立てる勢いに負け、すぐに宅急便を呼び出し位牌を送り返す。
それから数日が経ち、姉の八重子から電話があった。義兄から位牌を送られたので怒りに任せて、位牌を送り返したのだという。
結局その後は弁護士を介在した、遺産をめぐる骨肉の争いが続き、私たちの心に残ったものは、二度と越えることの出来ない兄弟の深い溝と遠くからかすかに聞こえる亡くなった義父の『財産なんか残さなければ・・・』という深いため息だけであった。